歌手で俳優のジェリー藤尾さんがCOPD(慢性閉塞性肺疾患)が起因とされる急性肺炎で81歳でお亡くなりになったそうです。
場所は横浜市内にある次女夫妻の自宅でした。
8月14日の午前4時52分ということですから、早朝だったのですね。
生まれは上海。NHKアナウンサーである父とイギリス人の母の間の生まれ国際的な環境で育ちましたが、日本に帰ってからは荒れた生活を経験しています。
結婚から離婚を経て、2人の娘を男手1つで育てあげました。晩年は孫5人に囲まれ、幸せそうな様子がうかがわれます。波乱万丈な人生を送ったジェリー藤尾さんの生い立ちや、現在の家族のことをまとめてみました。
ジェリー藤尾さんの現在の家族・5人の孫と曾孫に恵まれて
1964年に元歌手の渡辺友子さんと3年間の交際ののち結婚、渡辺美紀(長女)亜紀さん(次女)と2人の子どもを設けます。家族4人でCMに出たり、バラエティーに出たりと「おしどり夫婦」のイメージでしたが1986年に離婚となりました。
子供の頃から渡辺友子とダットサン620の顔が似てるような気がして仕方がなかったんだけど、こういうのは並べたところでピンとは来ないもんだよね。 pic.twitter.com/pRPutS6zjS
— 濱田 良章 (@HAMADAYOSHIAKI) January 2, 2020
土地や家屋の分与問題で訴訟となり、なんと6度もの調停を経て1991年和解したそうです。離婚の原因は友子さんの異性関係という話もありました。ジェリー藤尾さんのDVや異性関係という噂も出ましたがそれはどうやら当時渡辺さん側からリークされた噂にすぎないようですね。
渡辺友子さんが家を出たのはクリスマスのことで、男性と駆け落ちのようなことだったそうです。DVの噂などで表舞台から遠ざかるを得なかった時期もありましたが、長女の美紀さんが渡辺友子さん側に反論した、との話も残っています。いいお父さんだったようですね。
2人の娘、美紀さんも亜紀さんも、元女優をされていました。美紀さんのものは見つかりませんでしたが亜紀さんとの共演シーンがありました。
次女の藤井亜紀さんとの共演シーン
#ジェリー藤尾 さんが亡くなりました。
ドラマ #セーラー服反逆同盟 の第12話「落ちこぼれ名門高校(秘)作戦!」で次女の #藤尾亜紀 さんと共演したシーンです。
ご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/xHvsgRm6qG— ノンハウス (@nonhouse_0209) August 14, 2021
子どもはジェリー藤尾さんが引き取り、男手ひつつで娘2人を育て上げました。現在は孫が5人、ひ孫もいるそうです。
ジェリー藤尾さんご自身がFacebookにアップした写真です。6月27日、81歳の誕生日をお祝いしてもらったのですね。幸せが伝わってくるような素敵な写真だと思いました。
キャプションには
「皆さんご無沙汰してます。今日6月26日は私の誕生日なんです。81歳になりました。
チョコレートケーキ好きなんです!
元気にしてますが年相応になってきてます。
またテレビで皆様にお会いできる日を楽しみしています。」
とありました。実際はかわいい絵文字なんかもついていて、かわいいおじいちゃん♪という感じですね。4番目のお孫さんの成人式にも出席されていたようです。
こちらは2018年2月21日に投稿されたひ孫さんと一緒の写真です。
こんな写真を見ていると、素敵な老後を過ごされ、かつ現役歌手を貫いて素晴らしい人生を送られたのだなぁとほっこりしますね。
お孫さんの結婚式には、元妻友子さんと出席していた写真もあり、いい関係を築いていたようです。
ジェリー藤尾さんの生い立ちと両親について
ジェリー藤尾さんのお父さんは元NHKアナウンサーの藤尾薫宏さんさんです。
イギリス人のお母さんとの間に生まれました。場所は中国の上海とのことですから、生まれた時から国際派ですね。
1964年、上海から日本に戻ってきましたが、中学1年生の時にお母さんがアルコール中毒をこじらせお亡くなりになったそうです。日本語が全然話すことができず、孤独だったとのことですが、その亡くなったお母さんを最初に発見したのがジェリー藤尾さんでした。
多感な時期に母を亡くし、さぞかしショックだったでしょうね。
そのショックなどから心を閉ざし悪い道へと入ってしまったようです。
ジェリー藤尾が亡くなった。70年代ッ子には坂本九と並ぶファミリーキャラ。しかし若い時は児玉誉士夫子飼の暴力団・東声会の用心棒でステゴロ無双。その片鱗は「用心棒」で発揮。日活映画での弟分キャラも良かったのですが、私が好きなのは「エレキの若大将」での愚連隊ビートルズ。マジ悪いです。RIP pic.twitter.com/KgJm5iZvLl
— 小玉大輔 (@eigaoh2) August 14, 2021
高校時代から腕っぷしが強いことで有名で「中央線の鬼」との異名を持っていたそうです。なんだかドラマになりそうな話です。。一時期は愚連隊の用心棒を務めていた時期もある。自身も生前は、「新宿に行っては勝ちまくった」と豪語していました。
バンドボーイとして米軍キャンプを回りながらジャズ喫茶にも入り浸る日々。新宿界隈の不良でジェリーさんのことを知らない人をいなかったそうです。。つまり伝説の不良だったのですね。当時飛び入りでジャズ喫茶で歌っているところをスカウトされ、芸能界へとデビューしました。
お悔やみ申し上げます。🙏合掌 #ジェリー藤尾 さん 😢 好きな俳優さんだったな。 pic.twitter.com/PQ8WjpYxbC
— Harry🎀 (@harry__s) August 14, 2021
本当にハンサムですね。
かなり荒れた青春時代でしたが、音楽を志し1961年には「悲しきインディアン」でデビューすることができました。俳優業にも芽を出して59年の映画「檻の中の野郎たち」、黒澤明監督の「用心棒」にも出演しました。
芸能界デビュー後の1962年2月、ジェリーさんが麻布のクラブで飲食中にナイフを持った暴漢に襲われた際に素手で返り討ちしたエピソードは有名です。ジェリーさんは目の上などに全治2週間の傷を負い額に包帯を巻いて寝込んでしまったようです。当時は「ジェリー藤尾、切られる」とニュースとなりました。
同1962年には「遠くへ行きたい」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)で大ヒットを飛ばします。NHKの人気バラエティー番組「夢であいましょう」で使われたのがきっかけのようですね。
最近では2019年~20年のテレビ朝日系「やすらぎの刻~道」でテレビドラマにも出演し、リサイタルなども開催していました。2021年元日の「日本歌手協会歌謡祭」が最後の出演でした。
ジェリー藤尾さんプロフィール
名前:ジェリー藤尾
本名・藤尾薫紀=しげき
生年月日:1940年6月26日(81歳)
出生地:中国 上海
歌手・俳優・タレント
オリンピック柔道を見ていたオカンが「ジェリーなん?」「ジェリーって誰なん?」「あんたジェリー藤尾って知っとるか?」と連呼するから、この方の顔が浮かんで仕方が無い…ジェリー藤尾…せめて沢田研二(ジュリー)にして欲しい(ーー;) pic.twitter.com/V3BzdNY9
— ✌T.M (@part2tm) July 30, 2012
波乱万丈な人生を送られたジェリー藤尾さん。晩年が家族やお孫さんに囲まれた様子でほっこりとしました。ご冥福をお祈りいたします。
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